40年前のトイレトレーニング
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文字にするとすごい古くて歴史的なことのように感じますが。
何のことはない、私の時のトイレトレーニングです。
うちの母曰く。
「あなたはねぇ、1歳半でオムツが取れたのよ。お姉ちゃんは1歳の時。1歳はさすがに大変で、あっちこっちでジャージャー失敗してたけど、1歳半になるとラクで、失敗はほとんどなかったわよ。最近の子は3歳になってもオムツ取れないんだって。何してるのかしら」
私と我が子のことですね、批判の対象は。
まさか、母も孫が3歳近くになってもオムツが取れていないとは思わなかったでしょう。
もう母は亡くなってしまったので、真偽のほどは分かりませんが。
その言葉を信じるなら。
1歳半ってどうやってオムツ取ったんでしょう。
1歳半って、お互いの意思疎通って取れますかね?1歳なんてなおさら。
うちの子がそれくらいの年の時。
「お母さんはこのくらいにオムツ取ったんだよな・・・」って思いました。
そして目の前の現実を見て・・・「絶対無理!!」
1歳半の頃。「オシッコ」ということも理解してもらえません。
そもそも「オシッコしたいならトイレに行こう」ということを理解するとは到底思えませんでした。
その頃のコミュニケーションといえば。
「かか」「とと」「ねね」→「すごいね~、言えたね!!」
「ぱーん」→「パン、もっと食べたいの?」
そんな、単語のみを発する我が子が何を表現したいのか推測することばかりで、
「あなた、ちょっとオシッコがしたいのなら、おトイレに行ってみましょうね」→「?」
なんて複雑なことを伝えようなどと思いもしませんでした。
そういった、ちょっと複雑な意思疎通、コミュニケーションが成り立ちそうになってきたのは、少なくても2歳の頃。
2歳になると、会話らしきものが成立してきた感があって、急に育児が楽しくなってきた記憶があります。(コミュニケーションという側面ではね。。。)
40年前の我々姉妹のコミュニケーション能力が天才的だったということは、その後の結果から見てあり得ない。
ということは。
1時間なら1時間、2時間なら2時間と常に時計を意識しながら、1歳児を我が母はトイレに連れて行っていたということか?
無理だー
今のオムツ外れの概念では、「本人が」「排泄したいと気づき」「トイレに行きたい意思を示し」「トイレに一緒に行く」というのだと思いますが。
昔は、実は最後の点だけだったんじゃないのか?と思ってしまいます。
そうだとしたら。そうだとしても。
そういう状態でオムツを取ったことをとても尊敬します。
それって、
1.(親が)布おむつを洗うのがものすごく大変なので、一刻も早く布おむつを卒業したい
ってことですよね。
そうじゃなかったら。
2.(赤ちゃんが)布おむつがものすごく不快なので、オシッコやウンチをしたらすぐに替えてほしくて、訴えるうちに排泄するということを理解した
つまり、今のオムツ外れの概念を、布おむつの不快さにより、1歳半やそこらで達成しているということになります。
1だったら、1年や1年半、布おむつの処理をしてきたことがまず大変だったよねということ。
そして、今の時代我々がひーひー言っているトイレトレーニングよりも、布おむつの処理の方がよっぽど大変だったんだろうということ。
お母さん、ありがとうございます。。。
2だったら、赤ちゃんすごいよねということ。
そんなに不快だったら、新生児の頃からものすごく頻繁におむつを替えなければいけないし、お母さんも赤ちゃんも大変だったろうな。
こちらも、お母さん、ありがとうございます。赤ちゃんも、頑張ったね。
どちらにしても、必要は発明の母。紙オムツ、ありがとうございます。
そして、必要は自立の一歩。母にしろ、子にしろ、早い布おむつ卒業が必要だったんですね。
40年後の母は、もう少し発明に甘えさせていただきたいと思います。