3.11に再び放射能について考えてみた
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今日は東日本大震災が発生した日です。
犠牲になったのは15,000人以上、行方不明の方は未だに2,500人以上。
犠牲になられた方に深く哀悼の意を表するとともに、
被害にあわれた方に、心からお見舞い申し上げます。
あれから9年。
早い。というのが率直な感想ですが、長いとも言えるでしょう。
私の生活も大きく変わりました。
直後に父が亡くなり、母もまた病気が悪化し亡くなり。
私自身は結婚し、東京から北関東に移住し、子どもを2人産み母になり。
3.11のあの日。
私は、東京丸の内の高層ビルにいました。
あの日も今日と同じ、気持ちのいい青空で。
金曜日、今日が終わったら休みだ~、あと半日頑張ろう!と昼休み終わりに思ったことを覚えています。
地震発生のその時。
経験したことのない揺れに慌てて机の下に潜りましたが、
さっきまで座っていたキャスター付きの椅子が5メートルくらい右に左にゆーらゆーら動いて慌てて抑えて。
大きな揺れが収まったあともずっと揺れているような、まるで船に乗っているような揺れ方で、まっすぐ歩けない。
ただごとじゃないと感じつつも。
余震が来てそんな揺れ方をするたびに、「事件が起きている!」「大変なことが起きている!」となんだか妙にテンションが上がっていきました。
仕事の内容的に、普段からリアルタイムでテレビを見られる環境であったため、すぐに状況を把握できたし、新しい情報がどんどん入ってきたし、大きな不安はありませんでした。
これでもしテレビがなかったら・・・、同じビルの中にいたとしても、すごく不安だったと思います。
そんな中、自衛隊機が撮影した太平洋上の大津波の映像も、テレビでリアルタイムで見ました。
海の中を横一線に並んで走っているように見える大きな津波。
荘厳で美しささえ感じました。
陸地まであと数キロ。
もはや現実感はなく、まるで映画のワンシーンを見ているかのよう。
そしてそれが陸地に到達した時。
すーっと地面を海水が覆っていく。
慌ててテレビは、画面を切り替えました。
その時も、家を、町を、人を、津波が襲っているという実感は伴っていなかったのです。
あの大津波が起こした原発事故によって、関東圏はパニックに陥りました。
あれから9年。
地震や津波については、後世に残すような振り返りがされているように思いますが、
福島原発の事故や放射能のことについて、ちゃんとした振り返りってされているのでしょうか?
最近全然福島原発の放射能の報道や記事って、目にしませんよね。
ちょうど東日本大震災から9年を迎える今日、1年のなかでもこの3月11日を含む週は東日本大震災に関連する報道がピークを迎えるであろうに。
折から、映画『Fukushima50』が公開を迎え、福島原発が再び注目を浴びるだろうときに。
不自然なくらい福島原発の当時、現在の話や、放射能汚染についての考察など、一切ありません。
それがかえって怖いんですけど。
なにか圧力がかかっているんですかね?
それとも報道機関は、権力の監視を含むそういう社会的使命を放棄したんですかね?
本ブログで、「柔らかくなくても起きたペットボトルの悲劇」の記事を書いたとき。
たまたま、そのミネラルウォーターのメーカーが採水している場所が北関東だったので、「そういえば最近全然気にしていなかったけど、放射能って大丈夫なのかしら?」と思い調べてみました。
結論。水に含まれる放射能が安全な数値なのかどうかは、よく分かりませんでした。
そりゃそうです、高校の化学の最初の授業で、「モル」が分からなすぎて、その後の化学の成績は常にクラスの下から3番目だったのですから(しかも、42人中40位とかだったので、最下位タイということも考えられる・・・)
そんな私に、セシウムとかヨウ素とかストロンチウムとか、それぞれの調査によってシーベルトとかベクレルとかその単位が変わったりとか、しかも、原発事故前後で許容される基準値が変わったりとか、理解が追いつきません。
そういうのは、理系出身の夫の方がはるかに理解度が高く短時間で確認できると思いお願いしてみましたが、「なんで?知りたい人が調べなよ」というものすごく冷たい態度を取られ。そうよね、楽観主義のアナタは興味のない話よね。。。
それは、おいおいちゃんと自分で確認しなきゃとは思うものの。
原発事故の衝撃、混乱がまだ続く4月に、
自分が作った既に発表した曲を替え歌にし、本人が弾き語りする。
見て、聞いて、衝撃を受けました。
当時も今も、賛否両論があるとは思うものの、私はすごいことしたなと思いました。
著名なミュージシャンが、自分の音楽を使い訴えたこと。
きっと、スポンサーの意向とか、いろいろな方面への配慮とか、オトナの事情があるのをすっ飛ばして、自分の考えを表明したのでしょう。
(ちなみに、ご本人がアップしたものではないらしいです)
きっと、その後いろいろな不都合があったに違いない。
事実、彼に続く著名人は、私が知る限り、いませんでした。
YouTubeで「ずっとウソだった」を聞きながら思う。
また、FRYING DUTCHMANの「humanERROR」を聞きながら思う。
(知らない方は検索してみてください)
私達もあの当時の危機感をなくしてしまったことを。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ような、とても日本人らしい忘れっぽさ。
これでいいんですかね?
原発が再稼働されて。
また「安全を最優先した上で」と言いながら原子力が利用されて。
どうせまた、コントロールできなくなったら、「想定外」って言うんでしょ。
一市民にできることは、少ないとは思うけれども。
私は子どもたちに恥じない選択を、行動をしているのかどうか。してきたのかどうか。
ちゃんと振り返りたいと思います。