こきあブログ

冬眠したいアラフォー主婦のちょこちょこ雑記

若年性認知症の発症から、約15年で終わりを迎えた(1.発覚前後)~母の場合~

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私の母は、2年前に若年性認知症から来る誤嚥性肺炎で71歳で亡くなりました。

 

そもそも、若年性認知症だと診断されたのは、発症からずっと後のこと。

発症する前後は、家族だけが「おかしい、おかしい」と言っていただけで、(当時は今以上に認知症に対してオープンではなかったため)診断してもらえる病院も分からず、内科や心療内科にかかっても明確な診断はなく、という状態でした。

母が発症したその頃、私が一番知りたかったのは、身も蓋もないのですが、「若年性認知症はどれくらい生きるのか」ということでした。

ケアマネージャーさんに聞いても言葉を濁されるだけ、インターネット等で調べてみてもほとんど書いてありませんでした。

でも、正直、どれくらい生きるのかという目安が分からないと、毎年、そして毎月、母にどれくらいの費用をかけられるのかということも分からないし、どうやって亡くなっていくのかということの想像もつかなかったのです。

 

どこに書いてあったか今となっては分かりませんが、当時インターネットで調べたところ、「若年性認知症にかかった肉親が亡くなるまで約15年だった」という話を1件だけ読んだことがあります。

実際、うちの母も約15年だったので、統計はたったの2件ですが、1つの目安になるのではないかと思います。

 

<発覚前後のこと>

振り返ってみると、一番最初におかしかったなというのがあったのは、約20年前、私が大学生の頃でした。

その日の夕方、母が困った顔をして、突然言いました。

「お米って、どうやって炊くんだったかしら?」

 

はぁ?という感じです。

25年以上も主婦をやってきたのに?忘れたの?いやいや、まっさかー(笑)

と思いながら、

私「どうしたの?お米を研いで、お水を入れて・・・」

母「お水ってどれくらい入れるんだったかしら・・・」

私「2合炊くんだよね?そしたら、この2って書いてあるところまでお水入れなきゃ」

母「そうだよね。いやだ、どうしちゃったんだろうね(笑)」

 

なんだか少しだけ心がざわざわしました。でも、それ以外の母の様子は変わったところはなく、何か疲れているのかな、とは思ったものの、それからしばらくは何事もなく過ぎていきました。

 

ちなみに、こういう軽度な症状が現れたとしても、必ずしも認知症につながるわけではないようです。

母の姉、つまり私の伯母も、習い事の帰りに支離滅裂なことを口にして、友人たちに心配されたということがありました。自宅から習い事まで車を運転してきていたので、友人が心配して、伯母の車の後ろをついて見守ったそうです。これも今から20年くらい前の話です。

それでも、私の知る限り、伯母はその後、認知症や脳の病気になったことはありません。

脳内の血流が不足する等一過性のものだったのか、それとも医学的になんらかの処置をしたのか(伯母は自分自身も含め家族全員医療関係者)は分かりません。

 

今後、不定期になりますが、母のことを書いていきたいと思います。