卒園式、母はきっと泣くでしょう
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間もなく行われる長女の保育園の卒園式。
このご時世に、卒園式をやっていただけるだけで、保育園に感謝ですね。
ちなみに、謝恩会は中止となりました。残念ですけど仕方ないですね・・・
長女は1歳になったばかりの頃から、丸5年通いました。
いろいろなことが走馬灯のように頭を駆け巡ります。
着替えを上手にできるようになったのも、トイレトレーニングをしてオムツが取れたのも、全部保育園のおかげです。
育児をともにしてきてくれたという思いがあり、感謝の気持ちでいっぱいです。
そこで・・・母はたぶん泣くと思います。
友人の誰かが、「保育園に入園する時には子どもが泣いて、卒園する時には親が泣く」と言っていましたが、言い得て妙ですね。
そもそも、子どもを産んでから、いや、その前に、私の場合父が死んでから、涙腺は崩壊しっぱなしです。
父を亡くして。人が死ぬということ。死んだら戻ってこないんだということ。身をもって実感しました。
それからというもの。親からの愛、親が残してくれたこと、親が死ぬということ。そういった映像、音楽はもう涙が止まりません。
子どもを産んでから、育ててから。子どもは未来、希望。自分の子どもだけでなく、全ての子どもがそうだと、何の疑いもなくすとんと腑に落ちます。
それからというもの。子どもへの愛、子どもに残すこと、子どもが被る害。そういったものは、もう涙が止まりません。
そう、涙腺崩壊は全方向です。
今までも、保育園の運動会や発表会で。
立派に演技・発表をしている姿に涙してきました。
1つ上の学年の演目ですけど・・・。
夫「次、いよいよ長女ちゃんの出番だね!」
私「・・・」
夫「なんで泣いてんの!?」
周りを見ても、その演技で泣いているママが続出。
よその子だけど、立派な姿に純粋に感動したんです。
ここまでよく頑張ったね、いっぱい練習したねって。
我が子の出番の演目では、まっさらの状態の心では見れません。
大丈夫かな、失敗しないかな、頑張って練習してきたことが発揮できるかな。
感動よりも心配です。
演技・発表が終わると、感動よりも放心です。
はぁ~、大過なく終わった。よかった。頑張ったねって。
そんな私にとっての卒園式。
本番前から、すでに胸がきゅっとなっています。
長女が行く小学校に、保育園のお友達はいません。
長女は、知り合いも友達もいないところに一人で入っていかなくてはなりません。
車社会のこの町は、幼稚園にバスで通う子も多いので、私が小学生の時のように、幼稚園の友達はほぼ同じ小学校に進むという訳でもないのですが、小学校はやはり近場の幼稚園出身の子が多いようです。
今まで、赤ちゃんの頃からずっと一緒だったお友達。それこそ言葉を発しない頃からそれでも波長が合うのか、気づけばずっと隣にいたお友達。
その子たちとも、もう一緒にいられません。
子どものことだから、小学校に入ればまた新しいお友達ができることでしょう。保育園や幼稚園で仲の良かった子と、小学校で仲良くなる子って違いますもんね。
きっと、2~3ヵ月もすれば小学校のお友達との世界が全てになって、久しぶりに保育園のお友達に会っても、「誰だっけ?あ、〇〇ちゃんか。でも別に一緒に遊ばな~い」とか言うんでしょう。
高校や大学での友達と違って、この後も何か機会があれば会って話してといった、細々とでもずっと続いていく関係ではない。
そのことが、母にとっては切ないのです。
もう、この関係性では二度と会えない、会わない、その切なさ。
一方の卒園児本人。
いたって明るく、「早く卒園式の日にならないかな~。お父さんとお母さんと一緒に行けるもーん」
母「でも、卒園式の日になったら、お友達と会えなくなっちゃうんだよ」
長女「そうだよ~」
先生とも、お友達とも、もう一緒に過ごせなくなってしまうことを、よく理解していないようです。
まあ、仕方ないか。その切なさが分かるのは、あと10年くらい経ってからでしょうか。
あとは、母が号泣するのか、それとも卒園証書をもらう娘の姿を緊張しながら眺めて泣けないか、どちらになりますかね。