帝王切開~私が経験した、たぶん前時代的やり方~(3)・・・手術のやり方、これって普通なの?・・・
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長女が6歳になって、あの悪夢(と当時は感じた)の帝王切開から6年か・・・と思い、6年前の帝王切開のことを思い出しながら書いています。
前々回の記事はこちら⇒
kochia-tohminneko.hatenablog.com
前回の記事はこちら⇒
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6年前のことだから、記憶もだんだん曖昧に・・・とは、思うものの、強烈なインパクトがあって、それゆえ記憶も勝手に捻じ曲げられていそうではありますが・・・
今はコロナ禍で、想像していたような出産ができそうにない、または出来なかったと思う妊婦さん、産婦さんもいると思います。
私の帝王切開の経験が、少しでも役立てばいいなと思います。
今日は、4.帝王切開手術日です。
4.帝王切開手術日
(1)いざ手術!
朝7時から手術はスタートするため、5時起きくらいです。
朝看護師さんが病室にやってきて、体温・血圧測定。
「特に異常はないですね~。6時半くらいに迎えに来ますから、そしたら手術室に向かいましょう」
いよいよ手術か。ドキドキドキ。
手術まで水も飲めないし、ぼーっと横になっていることくらいしかありません。
そうしているうちに、夫もやってきました。
時間になって、髪の毛にシャワーキャップのようなものをかぶせられ。
看護師さんに連れられて歩いて手術室まで向かいます。
手術室前で夫とお別れ。そして手術室に入ります。
(帝王切開でも立ち会い可能な産院もあるようですが、私が出産した産院は、第1子の時も第2子の時も、立ち会いはできませんでした)
手術室に入っておどおどしていると。
「はい、こっち来て」とすでに準備万端、手術着の院長先生。
目の前には、ステンレス製っぽい銀色の台。その横には階段が付いています。
「服脱いで、ここに寝て」
台の周りには、院長先生の他、麻酔科医とおぼしき先生、助産師・看護師さん5,6人。
入院着のようなものを脱がされ、全裸で彼ら注目の元、台に上ります。
臨月というか出産間際の妊婦ですからね、お腹が大きすぎて足元が見えないので、階段を上がるのを看護師さんが腕で支えてくれました。
彼らが見ている前で仰向け。
「ハイ、じゃあ足ここに乗せて」
(たぶん)自然分娩するときに足を開くアレです。このステンレスの台とは独立して足を開くものなのか??
っていうか、私、帝王切開でしょ?なんで足を開く必要があるの?
疑問を差し挟む余地はなく、勝手に両足を上げられ、そこに固定されます。
っていうか、いち女性として、衆人(?)監視の中全裸で仰向けにされて、足を開かされるって、出産の前に羞恥心が勝ってどういうことかと思いますよね。
院長先生は、茶色の液体を持っていて、
「ハイ、ちょっと冷たいよ」
と、ピンセットにつまんだ500円玉大の綿を、茶色の液体に付けて、消毒を始めます。
「ひぇ、冷たい!」と心の中で叫びながら。
院長は、私の出っ張ったお腹全体から下腹部、股部分、太もものあたりまで消毒液をぬりたくります。
消毒が終わりに近づいてきたころ。
ようやく、上半身に緑の布っぽいものが掛けられ始めました。
よかった、ちょっとは恥ずかしさが薄らぐ。
っていうか、この人権がない感じ、どうなの?
人体実験でも始められるのかと思ったわ。
そこで、院長ではない先生が一言。
「はい、私麻酔科医の〇〇です。このマスクかけてもらいますね。そしたら眠くなりますから。その後、挿管して眠ってもらいますから」
挿管って、気道確保して管入れるやつね、医療ドラマで見たことあるわ。
ああ、あの器具をぐいっとのどに入れる訳ね。
(2)意識もうろう
・・・
「△△さん、Aさんの検体知らない?」
「えっ、なに?」
「さっきから、Aさんの検体が見つからないの。どこ行っちゃったんだろう・・・?」
その病院は、不妊治療にも力を入れている病院でした。
私「検体って、不妊治療の?そんなものなくしちゃ、まずいでしょ。ってか、この病院本当に大丈夫か??」
看護師さん2人がそうしゃべっている声で目が覚めました。
しばらくして。
その看護師さんたちが気づいたのかどうなのかはよく覚えていませんが、
たぶん麻酔が切れたことが確認され、体温・血圧などが測定され問題なかったんでしょう、病室に戻ってきました。
その後病室ではひたすら眠り続けます。
夫がそばにいるのは分かっていたものの、話しているうちにまたうとうと・・・
覚醒している感じ50%、気を抜くと眠りに入ってしまう感じ50%といったところでしょうか。
起きているときは、とにかく、下半身に違和感。
尿を出す管が入っているので、横になっているけれど足を閉じていられない。
下腹部には(まだ)痛みはないけれど、なんだか違和感。
それもそのはず、産褥ショーツを履かされ、それには産褥パッド(生理用夜用ナプキンが巨大化したようなもの)が当てられている。(あとで分かったことですが)
お腹の傷には、ガーゼが(たぶん)何枚も当てられている(起き上がれないので見られない)。
アタマは麻酔でもうろうとして、夢とうつつを行ったり来たり。
3時間に1回くらい看護師さんが病室を訪れて、身体のチェックをしてくれました。
身体中がいろいろな管につながれているので、血圧、酸素飽和度(術後、人差し指に器具を挟められ、血中の酸素飽和度を測ります)などは機械に表示されるのですが。
お腹の傷からの出血の確認。
下からの出血の確認(産褥パッドにどれくらい出血しているか)。看護師さんが産褥ショーツのマジックテープ部分(股部分)をベリベリッとはがして産褥パッドを見て、「うーん、替えておこうか!」と言われ、産褥パッドを替えてもらう・・・。
もうなんというか、オムツ替えをしてもらう赤ちゃんになった気分です。
恥ずかしいけれど、もう身体が何にも動かせる気がしないので、どうしようもない。
是非もなく受け入れるしかありません。
あとは、子宮の収縮具合の確認。
お腹を優しく触られるのですが、すぐ下には傷があるし、身体の中では子宮が収縮しているしで、少し触られるだけで激痛です。
「っううっ!!」
「順調に収縮しているね!」
その日はおそらく、手術後半日くらいでお水を飲むのは許可されたと思います(あんまり覚えていません。。。)。でも、水分は点滴でも投与されていたと思います。
飲食は翌日から。それも、おかゆの上澄み液と、お味噌汁の上澄み液から。
ちなみに、ここまで全然出てきませんが、全身麻酔をして5分ほどで無事赤ちゃんは生まれました。
私も意識なし、夫も立ち会いをしていないので、長女がどのように生まれてきたのかは今となっては誰も分かりません。長女の第一声も、私は知りません。
(産院からは、出産の様子ということで、写真をデータで何枚かいただきました。まさに出産後すぐとおぼしき、うっすら血にまみれた長女の姿がありました)
とにかく、生まれてきて、手早く処置をしてもらった長女は、手術室の外で待っている夫のところに連れてこられて、夫は少しの時間見せてもらったようです。
写真を数枚撮る時間があって、その後すぐに保育器に入れられ、新生児室へ連れていかれたそうです。
その日の午後から夕方、私が回復してきたのを待って、看護師さんが赤ちゃんを病室に連れてきてくれました。10分くらい、寝たまま腕枕で赤ちゃんを抱きました。
初めてそこで、「私、子ども産んだんだなぁ」「小さいなぁ」「小さくて壊れちゃいそうだなぁ」という母親っぽい感情が出てきました。
(3)後陣痛
こんな感じで夜を迎えました。
というか、ずっと寝たまま、寝たり起きたりなので、時間の感覚はないのですが。
夜は夜で・・・後陣痛がものすごく痛かったです。
後陣痛・・・、それは出産後子宮が収縮する痛みです。
陣痛を経験した経膣出産より、陣痛を経験しなかった帝王切開の出産の方が、痛みを感じる人が多いそうです。
また、初産よりも経産婦さんの方が痛みを感じやすいそう。
私も、この後陣痛の痛みが本当にひどかったです。
私は、生理痛は2日目にお腹が少し重くてイタタ、腰も重いなぁと感じるくらいの軽めなのですが、この時の痛みはそれとは比べものにならないくらい、本当につらかった。
まず、寝てても起きてしまうくらい痛い。少し良くなったと思ってうつらうつらするのを遮るかのようにやってくる規則的な痛み。
3時間おきにやってくる看護師さんに、
「お腹が痛いんです・・・」と言うと、
「傷の痛み?お腹の中の痛み?」
「(知らんがな!!何だか分からないけど、とにかく痛いんじゃ!!)・・・?」
「痛み止めの座薬、入れとく?」
「お願いします!」
でも、6時間くらいで効果が切れちゃうんですよね。
それでまた痛くなった時に、座薬を入れてもらえばよかったんですけど。
夜中だし、看護師さんを呼び出すのも悪いし・・・と思って、我慢することにしました。
最終的には夜中から明け方にかけて、痛みで寝られませんでした。
その夜は、夫が同じ病室に泊まってくれていたのですが、あまりの痛みに、夫の手を力いっぱい握って痛みを我慢することで朝を迎えました。
これ、本当にムダな我慢ですから(笑)!
痛いときは我慢せず、痛み止めもらいましょう!!
夜中に看護師さんを呼んでも大丈夫。そういう変な気遣いは不要です。
私も第2子の時は、痛くなりそうな時点でガンガン痛み止めもらって、後陣痛の痛みはそれほど感じませんでした。
長くなってきたので、5.手術翌日以降~入院中~はまた次回!