こきあブログ

冬眠したいアラフォー主婦のちょこちょこ雑記

帝王切開~私が経験した、たぶん前時代的やり方~(4)・・・なぜ帝王切開になったのか、思い悩む・・・

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長女が6歳になって、あの悪夢(と当時は感じた)の帝王切開から6年か・・・と思い、6年前の帝王切開のことを思い出しながら書いています。

 

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kochia-tohminneko.hatenablog.com

 

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kochia-tohminneko.hatenablog.com

 

6年前のことだから、記憶もだんだん曖昧に・・・とは、思うものの、強烈なインパクトがあって、それゆえ記憶も勝手に捻じ曲げられていそうではありますが・・・

 

今はコロナ禍で、想像していたような出産ができそうにない、または出来なかったと思う妊婦さん、産婦さんもいると思います。

私の帝王切開の経験が、少しでも役立てばいいなと思います。

 

今日は、5.手術翌日以降~入院中~です。

 

5.手術翌日以降~入院中~

(1)のどの痛み

手術翌日、朝になってまず思ったことは、「のどが痛い!」でした。

後陣痛も痛かったんですけど、それは夜から引き続きだったので。

朝、体調をチェックしに来てくれた看護師さんに、後陣痛の痛みがひどいこと、そして、のども痛いことを伝えました。

看護師さんは、「あら、風邪ですかねぇ」ということで、病室に加湿器を貸してくれました。

半日くらい、私本人も「風邪かなぁ」と思ってはいたものの、何だかいつもと違う、そもそも出産するまでは風邪の気配もなかったのに・・・と思っていて、ふと思い出しました。

私、挿管したんじゃん!

 

そう、医師の明確な診断はなかったですが、私個人の素人的診断によると、こののどの痛みは、挿管によりのどの粘膜(?)が傷ついたことによる痛みでした。

(ネットの情報でも、全身麻酔の合併症でよくあることと書かれています。産院からの説明書きにはなかったので、最初は気づきませんでした)

手術翌日がものすごくのどが痛くて、その他は風邪らしい兆候はなし、特に投薬等もなく(抗炎症薬は、お腹の傷用に点滴で入れているのかもしれませんが)徐々に収まっていきました。

 

(2)人間的な生活へ 

手術翌日には、尿を出す管を抜いたり、身体に繋がれていた心拍数や酸素飽和度を測る管を抜いてもらって、あとは点滴の管だけになりました。

 

そして、手術翌日から、食事がとれるようになりました。

といっても、おかゆの上澄み液と、お味噌汁の上澄み液からですけど。

でも、口から栄養が取れるって、すばらしい!それだけで、少し元気になれるような気がします。

 

でも、食事がとれるような体勢になるまでが一苦労。

まず、寝ている状態から起き上がれません。

そーーっと、そぉーーーっと起き上がろうとしても、腹筋に少し力を加えただけで

「っうぅぅぁ!!」

お腹を昨日切ったばかりなのです、おそらく筋肉も切っているのです、そりゃ、痛いはずです。

普通のスピードでの行動はできません。とにかく何でも、いつもの20倍くらいの時間をかけて動きます。

そんな感じで、起き上がって、食事をして、トイレに行って、便が出たら教えてねと看護師さんに言われ(「いやいや、お腹に力を入れるなんて絶対無理だから!!」と思いながら)、やれることないからまた激痛に耐えながらベッドに横になり、楽な姿勢を模索し・・・という、少しずつ人間的な生活になっていきました。

 

(3)傷の修復力

産院は母子同室が基本(個室)だったのですが、この時点では母体の身体の回復を促すためか、赤ちゃんは新生児室預かりになっていました。

まぁ、実際、点滴の台を杖替わりに全体重を預けて、1歩歩くのに5秒くらいかかる身体の状態なので、帝王切開直後は赤ちゃんのお世話は無理ですね。

 

そんな状態なので、やること、できることがないんです。

 

この産院では、歩くことが何より身体の回復につながるので、頑張って歩きましょうという結構スパルタ方式で、新生児室まで歩いて赤ちゃんを見に行くことを推奨されました。

1日目、2日目で、新生児室との間を毎日10往復くらいはしたでしょうか。(往復で30mくらいだと思います)

ちなみに、第2子の産院は拍子抜けするほどスパルタではなく、出産後1日目によろよろしながら新生児室前に向かっていたら、看護師さんに心配されました。

 

1日目は激痛でよろよろ、必死の形相で歩いていたものが、2日目には少しだけマシになり、どうやったらそれほど痛くないかのコツもつかんできました。

人間の身体ってすごい!

3日目には、ものすごくスローペースながらも、入院している産婦さんが食事をする食堂まで歩いていけるようになり、5日目には、前日に経膣出産して痛みでよろよろ歩いている産婦さんを抜けるスピードで歩けるようになり・・・7日目には普通のスピードで歩いて退院です。

ほんと、人間の傷の修復力に、我が身をもって実感・感動しました!

 

(4)気分の落ち込み

で、自分の身体が少しずつ動くようになってきたのは実感するものの、やることがない!

そんな訳で、なんで帝王切開になったのか、この後どうなるのかとか、スマホで検索しちゃうんですよね。

それで、経膣出産で生まれた子は産道を通ってくる時に雑菌にさらされて強くなるけど、帝王切開で生まれた子は雑菌にさらされないから弱い子になる、とか、

経膣出産で生まれた子は、赤ちゃん自身も痛い思いをして生まれてくるから我慢強いけれど、帝王切開で生まれた子は痛い思いをしていないから打たれ弱いとか、

陣痛の痛みを体験していない母親は、生まれた子を可愛いと思えないとか、

都市伝説のような、神話のような話に接してしまうんです。

 

普通の状態なら、「は~っ?論理的な説明じゃないし!」とはねつけられるのに、出産後はホルモンの乱高下も激しく、精神状態の乱高下も激しく、素直に受け入れちゃうんですよね・・・。

 

私が一番堪えたのは、なんで自然分娩できなかったんだろうということと、私が帝王切開で産んだことで、新生児室で赤ちゃんが一人になる時間が多かったことです。

(“自然分娩”“普通分娩”という言い方一つとっても、傷付くんです。私の出産は、“異常”だったのか・・・と。)

 

産院では、経膣出産だった産婦さんは、出産後半日~1日くらいで母子同室になりました。新生児室にいたベビーも、基本お母さんと同じ部屋で過ごすことになります。

生まれた日には、新生児室で一緒に過ごすベビーのお仲間がいたんですが、翌日にはみんなママと同じ部屋へ行ってしまって、新生児室には私の赤ちゃんだけになりました。

よろよろと新生児室まで赤ちゃんを見に行って、ひとりぼっちのかわいそうな赤ちゃんを見て、「お母さんのせいでひとりぼっちになってしまって・・・ごめんね・・・」、「お母さんがちゃんと産めなかったせいで、身体が弱い子なのかもしれない、我慢強くできない子なのかもしれない・・・」「お母さんのせいだね・・・ごめんね・・・」と思っていました。

仕事帰りで面会時間に間に合わず、夜、窓の外から私のお見舞いに来てくれた夫にも、「私のせいで、赤ちゃんがひとりぼっちなの・・・ひとりでさびしそうなの・・・かわいそうなの・・・」と電話で泣きじゃくりました。

 

今の私が当時の私に声を掛けられるとしたら・・・「大丈夫!そんなことないから!赤ちゃんは寂しいとか、感じてないから!!っていうか、産後しばらく自由に過ごせるって母親にとって天国だから!!(笑)」って言うと思いますが、なにせ初めての子、産後の自由時間の貴重さもまだ分かりません。

とにかく、母子同室になるまでは、どーんと落ちてボロボロの精神状態でした。

 

(5)胸の痛みと母子同室

出産後2日目の夜には、胸が張ってガチガチ、石のようになりました。

その夜はとにかく冷やしてと言われ、新生児用のオムツを濡らして胸に当てていました。(授乳指導は翌日昼の予定で、どうやって飲ませるか分からなかったためです。第2子の時は、胸が張った時点で「おっぱい飲ませていいよ~」となりました)

出産後3日目の午後から母子同室になり、授乳、ミルク、オムツ替えなど、赤ちゃんと一緒の生活がスタート。

そうすると、身体はまだまだ痛い、でも赤ちゃんのお世話もある、産院での指導や写真撮影などのイベントもあるで、忙しいスケジュールに。

そうやって目まぐるしくやることが増えて、もろもろのことに悩むより、目の前の赤ちゃんのお世話で分からないこと、心配なことが山のようにあり、そちらの方に意識がいくようになりました。

 

この日々のなかで、次第に「帝王切開になってしまったことは仕方ない」と思えるようにもなっていきました。でもやっぱり、どうしても分からなかったことは、どうして帝王切開になってしまったのかということ。

退院日に、院長先生の診察があるということだったので、それまでに出来るだけ知識を身につけて、疑問に思っていることを質問しようと思うようになり、赤ちゃんのお世話の傍ら、帝王切開についてネットの情報を読み漁るようになりました。

 

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退院時の診察用に準備した質問一覧

 

(6)退院日の院長診察

いろいろと予備知識を身につけて、質問を準備して、いざ退院日。

院長先生の診察で、準備した質問の1つ目、なぜ予定日1週間超過(41週0日)で帝王切開だったのか、もう少し待つという選択肢はなかったのかという質問をしたところ、「年齢だね。あと10歳若ければもう少し待ったけど。実際、少し羊水も濁っていたし」とのこと。

もうなんだか、準備していた質問を全部する気力も失せました。だって、どうしようもないじゃないですか。今から10歳若返るわけでもないし。羊水が濁っていたって言われても、そもそも見てないし、通常の羊水だって見たことがないんだから、濁っていると医者に言われれば、真偽のほどは確かめようがないわけで。

釈然としない、でもこれ以上どうしようもないという気持ちで、産院を退院し、自宅に帰りました。

 

6.退院後~自宅での生活~は、また次回!