PTA総会に出席してきました
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先月、小学校のPTA総会に出席してきました。
私は、PTA不要(最小限)論者(?)なので、何でか?というと、
・・・総会の準備・片づけをする係のためです(笑)
いつも委任状を提出してきたので、
総会って何をやっているのか不思議だったのですが、
行ってみたら・・・。
うーーん、なんか株主総会の超小型版といった感じでした。
私、どこの株主でもないので、
実際の株主総会には行ったことありません。
でも、超有名企業の株主総会のリハーサルに行ったことがあります。
たまたま、仕事で行ったんですが、ある意味お芝居のリハーサル。
(お芝居したことないのでイメージですが・・・)
台本があって、ほとんどの流れ、セリフも決まっていて、
そして、リハーサルもしている。
そこは株主総会なので、株主からの質問は想定問答なのですが、
どんな不測の事態が起こりうるか、
想定出来る限りのことを想定して、
その場合に誰がどう対応するか、といった行動・言動もほぼ決まっています。
例えば、株主がいきなり暴力を振るってきた時も、
体育会系のガタイのいい男性社員3人が、
その株主を抑えにいく、とか。
その後司会が何と言うか、とか。
全部決まっています。
(大の大人が真面目にリハーサルしています)
そんな株主総会の裏側を知っていたので、
PTA総会もすべて台本通りに進行しているものなんだな~って
なんだか驚きました。
そして、小学校のPTAで、そんな緻密な総会いる?と思いました。
まぁPTAも組織なので、そういうことも必要ということなんでしょうけど・・・
私たち総会準備対応は、だいたい25人くらい。
事前準備で会場設営をしたり、受付をしたり。
コロナ禍なので、基本的に委任状を提出してもらうので、
あまり出席者はいないはずということでした。
出席者は、総会準備対応委員25人+10人程度。
その他に、PTA役員、
つまりPTA会長やその他委員会の会長、副会長等、
校長、担当教諭などでだいたい同じくらいの35人くらい。
PTAなんてなくなっちゃえばいいのに・・・と私は思いながら、
この中にPTA活動を精力的に行って、やりがいにしている人もいるんだろうなぁ、
そういう人たちって、PTAがなくなったらどう思うんだろう、
とか、相反することを考えている人たちが同じ空間にいることを
不思議に思いながら議事を聞いていました。
過去にPTA会長を長年務め、今は政治家になっている方が来賓でいらしていました。
PTA会長ってそういうルートでもあるんだな、なんて思いながら
来賓の方のご挨拶を聞きました。
「子育て四訓」(※)という子育ての心構えを元にお話しされていました。
※「乳児は~」、「幼児は~」、「少年は~」、「青年は~」からなる、
年齢ごとにどうすべきかの教訓。
ちなみに、「少年は手を離せ、目を離すな」。
また別途、PTA会長のご挨拶は、
「子どもとしっかり目を合わせ、子どものことをしっかり見ましょう」
「子どもも家から一歩出れば、自分なりに一生懸命頑張っています。
家ではほっとできるように安心させましょう」みたいなお話でした。
それぞれのお話を聞きながら、
お坊さんの法話を聞いている時のように感動しそうになったのですが、
(根が単純なのでお坊さんの法話でいつも感動します。短時間ですけどw)
「ん?なんで来賓の政治家とPTA会長に、
子育てのことで訓戒を垂れられなくちゃならんのだ?
政治家とPTA会長より、よっぽど子どもと過ごしている時間は長いと思うけど?」
と、急に現実に引き戻されました。
そして、来賓はともかく、PTA会長は訓戒するよりも、
どちらかというと保護者側だろう!と突っ込みたくなる私。
そういうルートに乗っている方っていうのは、
集団、特に(無意識的に?)下に見ている女性とか子どもの集まりに対して、
訓示を垂れたくなるんだろうな~。
と、急に冷めた目で見るワタクシ。
(さっきまで感動しそうになってたくせに)
あとで調べたところ、その来賓の政治家は幼児施設の経営者のようでした。
なるほどね~。ならば分かるんですけど。
でも、いくら経営者でも政治家の仕事があったら、
毎日幼児と触れ合ってはいないですよね?
ましてや、PTA会長は自営業の方なので、
仕事とPTAがあったら、子どもと向き合う時間なんてあるのかしら?
ましてや、エラそうに訓示される筋合いなんてないと思うんですけど・・・
しかし、PTAは不思議な世界ですね。
この地域でよそ者の私としては、子どもが学校に通う間だけ
じっと我慢すればいい。それは分かっているんだけれど。
学校や地域への貢献と言われると、うーむ、そうか・・・と思いつつ、
しかし貢献する必要ってあるのかいなとも思いつつ。
ともかく、PTAの存在で、
名誉なのか票なのか、やりがいなのか、
私には分からない何かを得ている人が一定数いるということも分かりました。