こきあブログ

冬眠したいアラフォー主婦のちょこちょこ雑記

光熱費確定連絡なしについて(2)

前回、ガス代と電気代の明細確認がリモートになり、

アプリ等で自分から見に行くアクションをなかなか取らないという話をしました。

前回の記事はこちら⇒ 

kochia-tohminneko.hatenablog.com

 

で、それと対照的なのが。

クレジットカードの明細なんです。

 

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 去年までは、ネットで評判を調べて、カードを作っていました。

 

もともと、海外旅行が趣味なので、

保険が充実しているカードを中心に選んでいたというのもあると思うのですが、

ここ数年くらいで、明細を無料で送付してくれないカード会社が

増えてきたように思います。

年会費無料か、数千円か、くらいのカードを契約しているから?

 

カードの使用明細を送ってくれないので、ネット上で見に行くんですけど、

これまた光熱費と同じで、なかなか自分からは見に行かないんですよね。

せめて、何らかのトリガー、

「今月のクレジットカード利用料金が確定しました、詳細はこちら」

みたいなメールとか、欲しくないですか?

しまいには、あまりに見に行かな過ぎて、

ID、パスワードが分からなくなるという。。。

 

そして、私が去年まで使っていたカード、私の生活スタイルと合わな過ぎて

かなり大変でした。

明細送付はなし、自分でWeb上で明細を見に行くスタイル、

その月に規定の金額以上を使うと、勝手にリボ払いにされてしまうという。。。

かなり大手のカード会社なんですけどね。

リボを使い慣れている人はいいんでしょうけど、

元来ケチなので、リボなんて使いません。

毎月使う金額に気を使い(笑)、明細を確認しなきゃと心の片隅で気を使い(笑)

(でも、結局なかなか見に行かない。。。) 

 

昔、といっても2000年代(って書くと、なんか違和感あるな(笑))の頃、

年会費無料で内容が充実しているカードって結構あった記憶があるんですけど。

この十数年で、カード業界に何があったんでしょうね?

 

で。

私、今年から楽天カードを使い始めました。

楽天カード、すごく親切です。

ポイント還元率とか、私はそれほど気にしませんが、

選ばれているのが分かる気がします。

 

まず、カードを使用した翌日、「カード利用のお知らせ」という

利用金額の速報版メールが届きます。

続いて、カードの利用情報が楽天カード会社に登録された時点でもう一度確認メール。

そして、月ごとの請求予定金額のお知らせ。次に請求金額確定のお知らせ。

ダメ押しの引き落とし日の案内。

いち利用者として、私が今回確認した、

一つの物を購入した時の楽天カードからのメールは、5回。

(たぶん合っていると思いますが、確証はないです。

ネットでの購入の場合とか条件があるかもしれません。

あくまで私に届いているメールでの確認です)

 

この5回のメールをどう思うかは個人差があると思いますが(笑)

まあ、何度もあるので、

「あれ、これってこないだの金額と違うんだっけ?」とも思いますが、

メールなので、いちいち反応しなくても済むので、私はそれほど気になりません。

それに、月に何度も楽天カードで買い物をしないからかもしれませんが。

毎日のように買い物をする方だと、ちょっとウザいかも(笑)

 

ひょっとしたら、そういう買い物回数が多い方への案内は、違うかもしれませんが。

ともあれ、月に数回程度クレジットカードを使うタイプの方には、

かなり親切なんじゃないかと、個人的には思っています。

こんなに案内があると、カード会社もそれなりに手間なような気がするんですよね。

逆に、カード会社にもメリットがあるのかな、なんて思っちゃいます。

例えば、不正利用に備えた保険が安くなるとか・・・??

 

それに引き換え。。。

高熱費ですよ~。

自分で購入した商品なら、だいたいいくらって把握しているけれど、

光熱費は変動するじゃないですか。

メール1本くらい、案内してもらえませんかねぇ?

 

分かりますよ、分かります。

メールでの案内って言ったら、新たにメールアドレスを登録させて、

それを個人情報として管理しなければいけないじゃないかって。

勝手にメールアドレスを変更したり、削除したり、

住所以上に管理が面倒だし、大変ですよねぇ。

 

でも。

個別に各世帯を決まった日付に訪問して、

明細届ける人件費は浮いた訳じゃないですか。

その浮いた分、どこにも還元されてませんよね?

アプリやWebシステム開発費用になった?

うんうん、でも、どこかで損益分岐点来ますよね?

メール1本あってもいいんじゃないかなぁって、

昭和生まれのいち消費者としては、思っているのであります。

 

光熱費確定連絡なしについて(1)

今年になってから、光熱費の確定連絡がなくなりました。

 

水道代は、今まで通り2カ月に1回、係の方が(たぶん)来て、

水道のメーターを見て、

使用何リットル、水道代いくら、という明細が書かれた細長い紙を

ポストに入れていってくれているんですが。

 

電気代とガス代は、リモートになりました。

我が家、地方在住なので、ガスはプロパンです。

我が家が利用しているガス会社は昨年秋くらいから、

徐々に各世帯にリモート設備を導入していったらしく、

今年2月くらいからかな?明細が書かれた細長い紙が、ポストに入らなくなりました。

 

電気は東京電力ですが・・・、

検針票のWeb化についての案内冊子が何回かポストに入っていた気がしますが、

ガスよりもさらっと、気づいたら明細が来なくなっていました。

 

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ちなみに・・・。

私の常識不足をさらしますけど、この北関東の地に住むまで、

プロパンガスっていう存在を認識していませんでした。

私は首都圏在住だったので、都市ガスしか使ったことがなかったんです。

都市ガスが通っていないところがあるなんて!衝撃!!

調べてみたところ、都市ガス普及率は平成26年度末で約46%

(あ、意外とありますね)。

都市ガス供給区域は、国土全体の約6%

(でも供給区域内世帯数は全国世帯数の約3分の2)。

ん??約46%と、約3分の2で乖離してるんだけど?

んーちょっとよくワカラナイ。。。

 

まあ、でも世帯数にすると、結構な割合で都市ガスが供給されている訳ですね。

国土の6%に、全国世帯数の約3分の2が住んでいるっていう、

これまた別の衝撃もありますが(笑)

大都市圏在住の皆さん、国民の半分くらいの人はプロパンガス使用者ですから。

プロパンガスって超田舎~ってイメージあると思いますが(私だけか?)

そういう訳でもないんですよ~(←ここ大事)。

以上、平成29年の経済産業省の資料からの抜粋、ご参考までのミニ知識でした!

 

 

で。明細が書いてある用紙がポストに入らなくなったのはいいんですが。

それぞれ、アプリなどを必要なタイミングで

見に行ってくださいということなんですよね。

が。。。

これが、わざわざ自分でアクション起こして、アプリ見に行かないんですよね~

 

家計簿も一応付けていますけど、

いちいちアプリを開くのも面倒だし(元来の面倒くさがり屋)

これまたIDだのパスワードだの入れたり、思い出したり、

だいたいが忘れているので、紙のメモやパソコンやスマホのメモ帳やら

引っ張りだしてきたりするのがひたすら面倒くさくて、

「ま、そのうちまとめてやろう」とほったらかしなんですよね。

私、2月から光熱費確認してません。。。

 

長くなりますので、一旦ここで。

また、後半に続きます!

 

「じゃん」の使い方

ワタクシ、神奈川県横浜市(のはずれ)で育ちました。

夫、神奈川県の別の市出身ですが、

夫の母は横浜市出身、夫の父も神奈川県出身です。

 

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神奈川県の形

ある日、夫婦で長女を褒めていた時。

「○○ちゃん、すごいじゃん!」

「いいじゃん、いいじゃん!」

「やったじゃん、できたじゃん!!」

 

ん?私たち、すごい「じゃんじゃん」言ってるじゃん。。。

 

夫が20代の頃、友人を訪ねて関西地方に観光に行ったそうなんですが、

電車内でその友人と普通に話していて、電車を降りたところ。

その友人に言われたそうです。

「すごい『じゃんじゃん』言ってるから、恥ずかしかったわ~。

電車内でみんなに見られてたよ。コイツ、関東のヤツだなって」

 

夫本人は、「じゃんじゃん」を連発していたことも、

電車内でみんなに見られていたことも、全然気づかなかったそう。

 

そうなんです、「じゃんじゃん」言っている本人、自覚はあんまりないんです。

 

ただ夫は、夫の母がその姉妹たちと話す時に、

すごい「じゃんじゃん」言っていることには気づいていたそう。

それを聞いて育ってきたので、刷り込まれているんですね。

 

私は、両親は東北出身なので、

家庭で「じゃんじゃん」は多発されていなかったと思うのですが、

やっぱり学校でしょうかね~

 

ということを認識した状態で、夫の実家に帰省すると、

家庭内で、面白いほど飛び交う「じゃんじゃん」(笑)

 

そして、その使用方法を、自らも含めて観察してみると。

主に、いいこと、ポジティブなことに使われることに気付きました。

<凡例>

いいじゃん!すごいじゃん!やったじゃん!あったじゃん!など。

 

ほ~。40年生きてきて、初めて知ったわ。

 

でも、たまに、

ヤバいじゃん!まずいじゃん!最悪じゃん!言ったじゃん(怒)!とかも使います。

うーん?なぜ??

とは言え、例えば子どもを怒る時に、

出来なかったじゃん!悪いじゃん!とかはあまり使わない。。。

マイナスなことかプラスなことかと言われると、

圧倒的にプラスなことに使ってますねぇ。

8対2くらいの感覚?

 

と思ったところで、気づきました。

これは、「感嘆」と共に使われる言葉なんだということに。

「感嘆」、つまり感情の動きと共に伝えることは、

ポジティブなことが多いですし。

「驚き+!」のような状況で使っているんですね。なるほど~。

 

以上、何の役にも立たない、「じゃん」の使い方講座でした!

 

誰が作った離乳食かは、関係なくない?

ある日の夕方(だったと思う)、テレビを見ていたら、可愛い動画が流れました。

生後6カ月くらいの赤ちゃんが、離乳食のおかゆを食べているもの。

 

おかゆが大好きらしく、おかゆをもらったらスプーンを口から離さず、

パパかママか、離乳食をあげている人が、

「うーん。。。」と力を入れて引っ張って口から離すと、

ニコ~!!と満面の笑みになる、という動画でした。

 

その動画自体は可愛らしくて、とっても良いのですが。

そこで入ったナレーションに、なんだか残念な気持ちに。

 

ナレーション

「そうだよね、うんうん!ママが作ってくれたおかゆ、大好きだもんね♡」

 

ん?

そこで、「ママが作ってくれた」おかゆ、と断定する必要ある??

おかゆ、大好きだもんね♡」でよくない?

 

ママが作ったか、パパが作ったか、はたまたおばあちゃんが作ったか、

いっそのこと、レトルトかもしれなくない?

それで、何か問題ある??

誰が作った離乳食かは、どうでもよくない??

 

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百歩譲ってですね~、投稿した方が「ママが作ったおかゆが大好きなんです!」と

書いていたとしましょう。

そしたら、「○○ちゃんは、ママが作ったおかゆが大好きなんだそう」とか、

ナレーションを追加するべきだと思うんですよね。

 

ま、たぶん、おかゆはママが作ったんでしょう。

離乳食初期のおかゆ作りって、結構大変なんですよね。

ゆるーく作ったおかゆを、すりこぎとかでゴリゴリ細かくして、

さらに茶こしのようなものを使って裏ごしして。

力もいるし、根気もいるし、時間もかかるし、ゴリゴリゴリゴリ・・・

当時「私は魔女かっ!?」と自分に突っ込みながら、作っていました。

 

そんなに苦労して作ったのに、

赤ちゃんはほとんどの場合、あんまり食べてくれないんですよね。。。

手間をかければかけるほど、なぜか食べてくれない矛盾。。。

むしろ、経験上、レトルトの方が食べてくれることが多いです。。。

 

あの大変な作業を、労を惜しまずできるのは、たぶんママだけです。

それか、ママに、「たまにはあなたも作ってよ!!」と文句を言われたパパか。。。

私は、孫には無理でしょう(笑)

1回で音を上げます。。。

 

こんなに大変な思いをして作った離乳食なのに、

全然食べてくれないと、だいぶ堪えるんですよね。

精神的にも堪えるは堪えるんですが、

特に、食べること=生死に直結する と思ってしまうので、

これしか食べなくて大丈夫なのか、いつまでこんなに食べないんだろう、

ずっとこのままだったらどうしよう、という風に、

親、特にずっと近くにいる人、多くはママが、追い詰められてしまうんですよね。

 

私も、一人目の長女の時はそうでした。

長女の離乳食は、最初は順調だったものの、

2カ月が経った頃からあんまり食べなくなり、

思い悩んだ私は、市の離乳食相談にも行きましたもん。。。

(←という記憶だったのですが、確認のため育児日記を見たところ、

離乳食を始めた頃から、

「今日は離乳食をほとんど食べなかった・・・悲しい」のオンパレード(笑)

母乳なら母乳、離乳食なら離乳食、便秘なら便秘、湿疹なら湿疹で

赤ちゃんの気になることに、頭が100%行ってしまうんですよね)

 

で、離乳食相談で特に何か役に立ったアドバイスはないんですけど、

「そういうこともあるからね~」と言われて、

「なんて楽観的な!!」とイラっとしたんですけど。

当時は本当にそう思いました、だって本気で悩んでますから。。。

でも、それから2週間くらいして、

急に長女の離乳食の量、普通になりました。

まだらなんです、ほんと赤ちゃんっていうのは。

 

そういう経験があるので、

二人目の場合、離乳食を食べなくても、「そのうち食べるようになるでしょ」と

力を抜いて思えるんですけど、

一人目の時は、どう力を抜いていいか、分からないんですよね。

 

そうやって日々、あーでもない、こーでもない、と

初めてのことに悪戦苦闘している人に対して、

「ママが作ったおかゆ」っていう言葉は、

さらに追い詰めることになると思うんですよね。

 

離乳食なんて、誰が作ってもいいし、

それこそ、どうしてもベタベタ触ってしまう手作りより、

清潔な環境が保たれた工場で作られたレトルトの方が、

赤ちゃんにとってはいいのかもしれない。

実際、「うん!ラクだし清潔だし、レトルトにしよう!!」と、

簡単に割り切れるものでもないんですけどね。。。

大人だけの生活でも、「共働きで大変だから、毎日レトルトにしよう!」とは

なかなか思い切れないのと同じです。

赤ちゃんの身体のことだから、もっと難しいでしょう。。。

 

安直に、テレビ局が「『ママが作った』おかゆ」としたのか、

元々そういう情報があったのか、それは分かりませんが、

そういう余計な情報、やめませんか。

悪気はないんだろうけれど、新米ママ、パパが追い詰められるの、

そういうところなんですよ。

 

なんで隣に駐車するの??

こちら、北関東の地方都市。

御多分に漏れず、車社会です。

 

もともと、首都圏出身の私。

ペーパードライバー上がりで、この地に来て出産してから

本格的に運転をしているんですが。

(といっても、子どもの送り迎えくらい)

 

何度も、このブログで、この地の運転の荒さについて書いてきていますが、

もうひとつ、どうしても理解できないことがあります。

 

それは、私の車のすぐ隣に駐車する車が多いこと。

ひょっとして、私って人気者!?(笑)

と思ってしまうくらい、隣に駐車されるのです。

 

混んでいる駐車場なら、分かるんです。

ここの2台しか空いていなかったから、仕方ないよね、と。

それか、直前に駐車した車の隣だと気づいていなかったのなら、分かります。

 

でも、他にも空いている場所はたくさんあるのに、

しかも、今私が駐車していたの、見てたよね?

隣の私の車から、ドライバーの私や、後部座席から子どもとか、

下りてくるかもしれないよね?怖くない?

そして、隣に駐車されると、

私はその車の駐車が終わるまで動き出せないんだけど・・・

わざわざ選んで、隣に駐車する理由って何なの?

 

そんなに、いい場所、競争率の高そうな位置に、車停めてないんですよ。

例えば、スーパーの入口近くとかはない・・・

そもそも、駐車下手なので、出来るだけ車が少ない場所の方が、

私にはベター。。。

 

思うに、すぐ隣に駐車する人って、

たぶん、私と同じ状況になっても、イヤじゃないんだろうと思うんですよね。

そして、イヤだと思う人がいると想像していないんだと思うんです。

そう、運転の荒さについても、駐車問題についても、

想像していない人がかなり多い印象。。。

 

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極めつけは、子どもの送迎で行く、保育園の駐車場や習い事の駐車場。

10台はある保育園の駐車場で、半分以上空いているのに、

なぜか隣に駐車される。。。

なぜ!?

 

3台分しかない習い事の駐車場で、左端に入った私の車の直後に、

真ん中に停める車。。。

なぜそこで、右端に停める選択肢を選ばない・・・?

 

話はそれますけど、この3台分の駐車場、

誰も停めていないど真ん中に、

すごい大きい車(ランクルとか・・・)を停める人もいるんですよね。

いいんですけど・・・(いや、本心はあまりよくない(笑)・・・)、

端に停めないんだね。。その威圧感たるや。。。こっち、軽自動車なもので。

 

駐車する線がハッキリしていない、個人宅の駐車場なので、

真ん中に威圧感ある車が停まっていると、

「この端までの残りのスペースで、駐車できるかなぁ・・・」と思いながら

駐車せざるを得ないんですよね。

ま、こちらは軽で小回り効くんですけど。。。

これで、私も大きい車だったらアウトだな・・・と。

気分的に、その右にも左にも、駐車できない感じ。

端に停めていてくれたら、気分に余裕を持って駐車出来るのにな。。。

それに、もし駐車中に、その車の扉が開いたりしたら、避けようがないな。。。

とか思うので、ちょっと気分が下がります。

 

はるか昔に首都圏でごくたまに運転していた時、

はたまた、夫が首都圏で運転している時には、あまり感じないんですけど。 

なんでなんだろう??県民性!??

 

「聞」と「耳」~その(2)~

長女がふと漏らした一言。

「漢字の『聞く』の中の『耳』の部分って、『耳』じゃないって知ってた?」

から始まった、

 

「耳」は5画目の上に上げて書くところの右端は、

6画目の縦棒より右に出ているのに、

「聞く」の「聞」は、13画目の上に上げて書くところの右端は、

14画目の縦棒より右には出ていない問題。

 

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「『聞く』の『聞』の13画目の上に上げて書くところの右端が

14画目の縦棒より右に出ていたら、テストで✕にする」という

小学校の先生の一言に、理屈っぽい母が本気になり、色々と調べ始めて、

書体のデザインの問題であってどっちでもいいと書かれているブログ等を見つけた、

というのが前回のブログ記事でした。

 

前回の記事はこちらからどうぞ⇒

kochia-tohminneko.hatenablog.com

 

困った時のGoogle先生

ということで、Google先生の検索結果に従って色々見ていくと。

 

漢字は、文化庁発表の「常用漢字表」にのっとっているらしい。

⼀般の社会⽣活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使⽤の⽬安を⽰すもの

が「常用漢字表」なんだそうな。

 

で、その「常用漢字表」には。

常用漢字表では,個々の漢字の字体(文字の骨組み)を,明朝体のうちの一種を例に
用いて示した。現在,一般に使用されている明朝体の各種書体には,同じ字でありなが
ら,微細なところで形の相違の見られるものがある。しかし,各種の明朝体を検討して
みると,それらの相違はいずれも書体設計上の表現の差,すなわちデザインの違いに属
する事柄であって,字体の違いではないと考えられるものである。つまり,それらの相
違は,字体の上からは全く問題にする必要のないものである。

 

ふむふむ。やっぱり、字体のデザインの差という訳ですね。

 

プラス、「明朝体と筆写の楷書との関係について」として、

 

常用漢字表では,個々の漢字の字体(文字の骨組み)を,明朝体のうちの一種を例に
用いて示した。このことは,これによって筆写の楷書における書き方の習慣を改めよう
とするものではない。字体としては同じであっても,1,2に示すように明朝体の字形
と筆写の楷書の字形との間には,いろいろな点で違いがある。それらは,印刷文字と手
書き文字におけるそれぞれの習慣の相違に基づく表現の差と見るべきものである。
 さらに,印刷文字と手書き文字におけるそれぞれの習慣の相違に基づく表現の差は,
3に示すように,字体(文字の骨組み)の違いに及ぶ場合もある。
以下に,分類して,それぞれの例を示す。

 

つまり、「常用漢字表」で示した明朝体の字と、

実際に、手書きで楷書で漢字を書いた場合に習慣として現れる表現には違いがあって、

それは、印刷文字と手書き文字の表現の差と見るべきだという訳ですね。

 

こうして、色々な例が挙げられているんですが、

例えば、

「北」の3画目、4画目が印刷文字では突き出ないけれど、

手書きでは突き出るとか、

「外」の5画目が印刷文字では突き出るけれど、

手書きでは突き出ても突き出なくても可とか、

突き出る、突き出ないの表現の揺れも、例として挙がっています。

 

うん。やっぱり、どっちでもいいんじゃないのよ。

 

さらに、色々見ていくと。

Yahoo!JAPAN 知恵袋で解説してくださっている人がいる!

(気になる方は、調べてみてくださいね)

その方は、漢字辞典の出版社の担当者とか、文化庁の担当官とかとも

電話して話してる。。。

私以上のすごい執念深さ!(褒め言葉です)

何事も「先達はあらまほしきことなり」(2回目)

その執念深さからの結論も、「どっちでもいいんです」とのこと。

 

その方が、「文部科学省の学習指導要領の解説書『国語編』では、この問題について書かれているそうです」と書かれていて、

ヒントをいただいたので私も見てみました。(←私も大概ですな)

 

「学習指導要領」には、漢字の表記について、次のように書かれていました。

 

漢字の指導の際には,学習指導要領の「学年別漢字配当表」に示された漢字の
字体を元に指導することを示している。「常用漢字表」(平成 22 年内閣告示)の
「前書き」及び「常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)」(平成 28 年2月
29 日文化審議会国語分科会)においては,以下のような考え方が示されている。
・字体は骨組みであるため,ある一つの字体も,実際に書かれて具体的な字形
となってあらわれたときには,その形は一定ではない。同じ文字として認識
される範囲で,無数の形状を持ち得ることになる。
 児童の書く文字を評価する場合には,こうした考え方を参考にして,正しい字
体であることを前提とした上で,柔軟に評価することが望ましい。
 一方,漢字の学習と書写の学習とを考えたとき,文字を書く能力を学習や生活
に役立てるために,文字を正しく整えて書くことができるよう,指導の場面や状
況に応じて一定の字形を元に学習や評価が行われる場合もある。指導に当たって
は,字体についての考え方を十分理解した上で,生涯にわたる漢字学習の基礎を
培うとともに,将来の社会生活において漢字を円滑に運用できる能力を身に付け
ていくことができるよう配慮することが重要である。

 

うむ。

印刷文字の漢字を元に指導するけれども、手書き文字になった場合は無数の形状になるので、字体についての考え方を十分理解した上で、柔軟に評価しましょうね。

ただし、文字を正しく整えて書くことができるように、指導しましょうね。

ということね。

先生、大変だ。。。文部科学省からある程度の裁量を任されちゃっている訳だ。。。

 

ということで、長々と根拠を挙げてきましたが。

結論。

理論上は「どっちでもいい」になりますね。

 

しかし、こういう諸々のベースを理解せず、

「突き出ていると✕」だとか、「突き出ていないと✕」だとか、

ぐちゃぐちゃ言ってくる輩がいて、

それで、テストや受験で✕になるのはもったいないよね、

なので、明朝体の印刷文字にできるだけ寄せておいた方が身のためだよね

ということなのでしょう。

 

やみくもに、「こうなんだ!!」と言われると、「ほんとにそうなのかぁ~!?」と

思ってしまいますが、

背景を理解した上で「しゃあないから、そうしておいてあげるか」と思うと、

なんか納得感が出てくる私(性格悪っ。。。(笑))。

 

あ、ちなみにですね~。

「聞」の部首は「門」(門構え)じゃないそうです。

「耳」なんだそうですよ。

これまた、「耳」なのに「耳」じゃない、っていう奇怪なお話ですね。。。

 

皆さんも、これで納得できれば幸いです。。。

 

 

  

 

 

「聞」と「耳」~その(1)~

ある日、宿題の漢字ドリルをしていた長女が言いました。

 

「お母さん、漢字の『聞く』の中の『耳』の部分って、

『耳』じゃないって知ってた?」

 

ん?なに?

 

「だから~。『聞く』の中の『耳』の最後から2番目に、

上に少し上げて書くみたいなところあるでしょ?

そこって、最後の縦棒から右に出ちゃいけないんだって。

出てたら、テストで先生が✕にするって言ってたよ。」

 

 は?なんですって?

 

そこで理屈っぽい母は本気になりました。

 

確かに。

教科書を見ても、国語辞典を見ても、

「耳」は5画目の上に上げて書くところの右端は、

6画目の縦棒より右に出ているのに、

「聞く」の「聞」は、13画目の上に上げて書くところの右端は、

14画目の縦棒より右には出ていない。。。

 

 なぜだ?

 

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「ねぇねぇ、長女ちゃん。

先生は、なんでこれ、右側に出ちゃいけないんだって言ってた?」

 

長女「知らな~い」

 

母「だって、ダメだって言うからには、テストで✕するからには、

理由説明してほしくない?なんでダメなんだろう?

どこに根拠があるんだろうね?」(←理屈で説明してほしい私)

 

長女「ただ、右側に出ちゃダメだよって言ってただけだもん」

 

ふぅむ。

困った時のGoogle先生

検索してみると。

 

10年以上前に、同じような状況になった人がブログ等に書いていてくれました。

ほほぅ。何事にも「先達はあらまほしきことなり」(『徒然草』より)ですな。

 

それらのブログ等によると、

「「耳」が単独ではなく「へん」や「つくり」になっている場合、書体によっては確かに5画目の払い(はねあげ)が6画目の縦棒を突き出ていないことがあります(一般的な明朝体など)。

しかし「へん」や「つくり」になっている「耳」の払いが縦棒を突き出るか否かは「デザイン(書体)」の範疇に属する問題であり、字形の正誤の問題ではありません。実際、書体によっては突き出ているものも存在します。つまりこうした「耳」の払いに関する規範はなく、棒を突き出ていてもいなくても良いということです。」

 

ということ。

ん?書体のデザインの問題であってどっちでもいいってわけ?

 

でも、これらのブログ等によると、

受験や、漢字検定でも「突き出さない」らしく、

突き出ていた場合、✕になるとのこと。

うんうん。小学校の先生も✕にするって言っている。

 

じゃ、その、受験や漢字検定やテストで、✕にすると言っている人たちの、

✕にする根拠はどこにあるわけ?と思ってしまうのであります。

 

数学とか化学とか物理とかって(化学と物理は、文系だからほとんど知らないけど)、

式に、公式とか理屈に合わないことを書かなければ、✕にならないじゃないですか。

特に、数学なんて、全然スマートなやり方じゃなくても、

すごい力技でものすごい量の計算をしていたとしても、

理屈に合った式を書いて、答えが合っていれば、正解で〇をもらえますよね。

 

数学のテストの✕って、「ここがこうやって間違っているから、✕なんだよね」って、

理屈で説明できるんですよね。

そういうの、好きです、ハイ。私の好悪は、関係ないんだけどさ。。。

翻って、今回の問題、

「ここがこういう理由だから、突き出しちゃいけないんだよ」って、説明できますか?

っていう話なんですよ。(←いや~、理屈っぽいですな、私)

 

そこで夫が一言。

「国語とか、漢字には理屈ないでしょ。

教科書に書いてあるから・・・で終わりなんじゃない?」

 

ほんとにそうなのかー!?

教科書が絶対「正」なのかー!!?(←もはや、狂気の沙汰(笑))

だって、字体の問題なんでしょ??

 

これでもワタクシ、大学では、文学部日本文学専攻です。

間違っても、理系ではありません。。。

 

そんなこんなで、後半だいぶ長くなりそうなので、

今日はいったんここで。

続きはその(2)でどうぞ!