東日本大震災から10年
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今日で、東日本大震災から10年ですね。
この1週間、東日本大震災に関連したニュースや特集などをよく見ました。
改めて見ると、涙なしでは見られない、読めないものがたくさん・・・。
特に、今の私にとっては、子どもに関連するものがつらい。
未来の希望である子どもが亡くなるのは、本当につらいです。
地震、津波、火災等の犠牲者・行方不明者の数、約22,000人(震災関連死を含む)。
それは、統計上の数字にすぎないけれど、その一人ひとりに人生があって、家族がいて、大切にしているものがあった。
その重みを、感じます。
犠牲になられた方に深く哀悼の意を表するとともに、
被害にあわれた方に、心からお見舞い申し上げます。
私にとっては、東京丸の内の高層ビルの高層階で東日本大震災にあったこと。
そして、たまたま、仕事内容から、
他の社員では考えられないくらい近くにテレビがあって、
リアルタイムに情報に接することができたこと。
それによって、家族などの安全も、数時間のうちにだいたい推測ができたこと。
夫(当時は結婚前)は、北関東のこの地で地震に遭い、爆撃を受けたのではないかと思うくらい、職場の建物が損傷し、天井が崩落したこと。
なんとか家に帰り着いても、その日は停電で真っ暗なまま夜を明かしたこと。
その後の原発事故で、日常が大きく変わったこと。
父は、末期がんで大学病院に入院していたので、衣食住を心配しなくてよく逆に安心でしたが、
認知症の母が自宅にいる中で、大きな地震、余震、そして計画停電にみまわれたこと。
ちなみに、私の父母は、宮城県出身です。
内陸の方なので、当時の被害はそれほど大きくはないと思いますが。
当時、父は病院にいたので、おそらくテレビを見て、東北の被害状況を知ったと思います。
私や姉には一切の連絡がなかったのに、
父は「仙台にいるおふくろのことをよろしく頼む」と弟に連絡したそうです。
おそらく、父自身はガンで入院していて、
仙台に住んでいる母親(私の祖母)に対して何もできないから、
弟に頼んだのだと思いますが、
娘からすると、「認知症の妻をよろしく頼む」みたいな言葉は、
娘にはないのかよ、と思ってしまいます。
大災害の一大事の時に連絡するのは、妻でも娘でもなく、母親のことなのかよ、と。
母は、おそらく、東北の惨状を理解できなかったし、理解しないまま逝ったと思います。
父や母は、故郷の東北地方を襲った大地震、大津波、そして原発事故のことを、
どう思っていたのかな。
父や母と話せなかったことはたくさんあります。
結婚のこと、こどもたちのこと・・・
子どもたちが私の幼い時に似ているのか、など、
親が健在であれば当たり前にする親子の会話もしてみたかったと思いますが、
故郷である東北地方を襲った東日本大震災についてどう思うかなども、
話してみたかったなと思います。
私自身の思いは、昨年と変わっていません。
⇒
kochia-tohminneko.hatenablog.com
最近も、電気・停電のことを書きましたが、
しばらく、だましだまし原子力発電を使う日々なのでしょう。
なんだかな、という思いはどうしてもあります。
最近、「省エネ」という言葉、聞きませんね。
経済の方が重視されて、エネルギーを節約する、という考えには、いかないんでしょうかね。。。