育休明けで一番大変だったこと
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私は、上の子が1歳になる時に、産休・育休前の職場に復職しました。
子どもは、保育園に通い始めの頃は知らない世界に固まっていましたが、徐々に慣れ、保育園生活も楽しくなっていったようで、年長の今に至るまで、「保育園に行きたくない!」と言ったことはありません。
保育園に送っていったときにギャン泣き、なんてよく聞く状況はなく、最初は親を寂しげに見送っていましたが、慣れると「はいはい、バイバ~イ」と気のない挨拶をしておもちゃに一目散という状態でした。
ありがたいやら、寂しいやら。
復職当時は、巷でよく聞く「保育園に通い始めると病気になりまくる」を経験。
夫婦で「この日は休めるけど、この日は休めない」というやり取りをしたのは、一度や二度ではありません。
そして、休むのは私の方が3分の2以上、保育園からの「お熱が出ました」コールを受けるのも私。そうなったら、基本は私が早退して迎えに行かなくてはなりません。
なんで、こんなに不平等なんだよ!?と夫に毒づいたこと多数。
夫婦ともにどうしても休めないけれど、子どもはしばらく高熱が続きそうとなった時は、前日早い時間に電話をして予約をゲットし、病児保育を利用したこともありました。
これにはさすがに胸が痛みました。40度の熱がある子を初対面の人に預けて、初めての人、初めての場所に戸惑っている子を残して職場にいかなければならない・・・。
そんな綱渡りな日々が続きましたが、2歳を迎えるころにはだいぶ身体も強くなりました。いつ熱が出るかとヒヤヒヤはするものの、土日に熱が出て月曜には下がっているという娘の親孝行ぶりにも何度も助けられました。
そんな中で一番大変だったのは。
私にとっては、夕食づくりでした。
絶対的に、時間が足りない!
手抜きをしつつ、何とか家族の夕食を作らなければ。
手は抜きつつ、平日も1日くらいは時間がかかる調理をしなければなりません。
作り置きも復職当時はしていましたが、平日に仕事、土日に掃除・料理(洗濯は毎日夜にやっていました)等をしていると、土日に子どもと遊んだり、どこか遊びに出かけたりもままならない、となり、作り置きは諦めました。
週に1回、朝4時に起きて6時半くらいまで料理をする、その他の日も朝1時間くらいは料理する、という生活が続きました。
夏はいいんですけど、冬がつらいんですよね。。。
寒いし、暗いし。寝ていたいし。
一方で、仕事と家庭のバランスなんて、全然取れていませんでした。
復職当時は、慣れ親しんだ部署への復帰だったため、仕事内容も慣れたもの、人間関係ももう出来上がっている状態だったので、単純に自分が仕事をコントロール出来ているか否かでした。
しかし、1年が経ち異動となった時に、過去に似た業務はしたことはあったものの、好きでも得意でもない仕事をする部署に配属になりました。
仕事内容もなかなか理解できないことが続き、時間的余裕がないためリカバリーの時間も取れず、人間関係もゼロからの構築。自分が何の役にも立てていないことが心苦しくて、毎日毎日夫に「辞めたい」ばかり言っていました。
とにかく、会社員人生でこの時が一番つらかったですね。八方塞がり。
それでも覚悟を決めて。
役に立っていなかろうと、誰にどんなことを思われていようと、気にしない!、と鈍感力を強く持っていれば、今でもそこで働いていたかもしれません。
でも、仕事はこんな調子、家事も限界ぎりぎり、育児も余裕がないためか子どもにきつく怒鳴ってしまうという日々を続けるのは精神的に無理でした。
どんなに大変でも、育児も家事もギリギリでも、仕事さえ楽しければ。充実していれば。
犠牲になる家事も子どもも、救われる気がしました。
「お母さん、大変だし、みんなにも大変な思いをさせているけど、お母さん、この仕事にやりがいを持って一生懸命頑張っているんだよ」って子どもに言ったら、分かってもらえる気がしました。
でも。そうではない。
毎日いやいや重い脚を引きずるように職場に通い、家事も育児もうまくできていない自己嫌悪。
何のために働いているのか。子どもに無理をさせてまで。自分にも家族にも負担をかけてまで。
自分の中でいろいろな理由を付けましたが、たぶんあの状況の中で続けていくことは私には無理でした。
当時の仕事のことを思い返すと、今でも胸が苦しくて詰まってくるような感じがあります。
でも、「育休明けで何が大変だったか?」と思うと、「4時起きの夕食づくり」が真っ先に思い浮かぶのです。